先月22日に案が提示され、今月3日最終版が公表された金融審議会の報告書「高齢社会における資産形成・管理」が思わぬ方向で火を噴いています。

マスコミが報告書を本来の趣旨とは異なるニュアンスで「年金に限界 2,000万円の貯蓄が必要」というような見出しで報道したのが発端となり、ネットで炎上し始め、それを政権批判のネタとして野党が乗っかり、それがまたマスコミに取り上げられ、ついには与党までも撤回を要求する事態となりました。
報告書は現行の年金制度の内容や考え方に沿って取りまとめられた、至って「まとも」な内容であり(なのでここまで大きく取り上げられること自体が私には意外でした)、注目を集めているこの時期こそ、その趣旨を正しく伝える機会になるはず…だったのですが。

参院選の前というタイミングも大いに影響したのでしょうが、誤解を解く努力と責任を放棄し、金融庁に矛先を向けたのは残念としか言いようがありませんね。このような事態に至った原因をマスコミや政治家に求めるのは簡単ですが、ここでは「モチベーション(動機付け)」の観点から考えてみたいと思います。

ポジティブ・モチベーションとネガティブ・モチベーション

モチベーションの区分の仕方にはいくつかの種類がありますが、一番シンプルなのが「ポジティブ・モチベーション」と「ネガティブ・モチベーション」ではないでしょうか。ポジティブ・モチベーションは「こうなりたい!」という前向きな思いによるモチベーション、ネガティブ・モチベーションは「そうはなりたくない」という嫌な思いを避けるためのモチベーションです。

例えば、「オリンピックで金メダルを取りたい!」というのは普通に考えればポジティブのほうですが、「期待を裏切ってはいけない。絶対負けられない」という思いになると、ネガティブのほうにはたらきます。

両者を比べると、一般的にはネガティブ・モチベーションのほうが強い動機付けになります。嫌なものを避けるほうが、心理的には優先されるからです。また、ネガティブ・モチベーションは外発的に動機付けることができます。例えば達成できなければ罰せられるノルマを与えるいったことです。

これに対して、ポジティブ・モチベーションは基本的に内発的なものであり、外から直接与えるのは難しい面があります。例えば報酬を与えることで動機付けるのは、最初は効果があっても慣れてくるとそれが当たり前になってしまって効果が薄れてきます。

しかし、ネガティブ・モチベーションが期待通りにはたらくとは限りません。達成が難しい、やり方がわからない、あるいは理不尽だと感じられると、あきらめや反発を招き、不満や不安だけが残ることになります。また、不正や間違った解決策を選択することにもつながります。

そうならないようにするためには、達成できると思える方法を示すことや、達成のためにとことんサポートする姿勢が必要です。そうした中で、ポジティブ・モチベーションが生まれるような環境を作っていければ理想的だと言えます。

顧客を適切に動機づけることを目指すものだったが…

老後の資産形成に関する金融商品やサービスの広告には、ネガティブ・モチベーションに訴えかけるものが多くみられます。「老後資金はこれだけ必要です!」と不安心理や危機意識をかき立て、そのうえで商品やサービスを提案するアプローチです。現に、今回の報告書の騒動が起きてから「2000万円」を掲げたSNSの広告を見かけるようになりました。

しかしこうした手法を一概に否定することはないと思います。むしろ、顧客に課題を正しく認識してもらい、それに適した商品やサービスを提案・提供するのは適切な営業プロセスです。顧客のほうは、それに納得しなかったり気に入らなければ、買わなければいいだけの話です。

ただ国の政策についてはそういうわけにはいきません。納得できないから、気に入らないからといって、日本に住んでいる限りはそこから逃れることはできないからです。

もっとも、今回の金融審議会の報告書に関して言えば、そこまでネガティブ・モチベーションに訴えかけるような内容だとは思いませんが、もともと年金制度に不信感を持っている人や、政府に対して不満をぶつけたい人が、「2,000万円」という金額や「自助の充実」といったフレーズに反応してしまったのでしょう。

加えて、「自助の充実」が必要と言われても、具体的にどうしたらよいのか、多くの人はよくわからないのが正直なところだと思います(報告書をよく読めば「退職金の見込みを早い段階からよく確認しておく」といった具体的なことも書いてあるのですが)。

だからこそ、報告書では金融サービス提供者に対して、
大事なことは、顧客と目的を共有し、寄り添いながら、顧客を満足させ且つその利益を中長期的に最大化させられるかどうかである。
ライフプランに関する相談内容は、多岐に及ぶと考えられ、一つの金融サービスの形態に留まらない可能性があるほか、場合によっては金融以外のサービスに対しての相談にも及ぶかもしれない。
といったことを指摘し、顧客を適切に動機づけることを目指しています。

金融行政を預かる金融庁の立場からすればここが一番重要なはずなのですが、残念ながら今回はそれ以前のところで炎上してしまい、肝心なところは全くと言っていいほど注目されない結果となってしまっています。

今回の件に関しては、金融庁や金融審議会に全く非はないと考えますが、伝えること、動機づけることの難しさを改めて認識した出来事でした。

※金融審議会の報告書はこちらに掲載↓
金融審議会 「市場ワーキング・グループ」報告書 の公表について