日本において独自の発展を遂げてきた退職金制度。その起原は俗に、江戸時代の「のれん分け」にあるとよく言われます。

また、退職金制度のもつ役割としては、一般に、
  • 勤続功労報償説
  • 生活保障説
  • 賃金後払い説
の3つがよくあげられます。

しかし実際のところはどうなんでしょうか?

そのあたりを明治維新以降の歴史をひもときながら明らかにしているのがこちらの本です。

退職金の一四〇年
西成田 豊
青木書店
2009-03


江戸時代の「のれん分け」は商家におけるいわば独立支援であり、現在の退職金制度と直接結びつけて考えるのはやや無理があります。

筆者は「おわりに」で次のように総括しています。
明治以降の官業を中心とした工業化政策のなかで、外国から新たに輸入した機械や技術に適応させるために、労働者を―その多くは職人であったが―官業内に定着させ訓練する必要があった。そうした政策をささえたのが、「年期」満了後の退職金(あるいはそれと類似した形態、以下同じ)の給付であった。その点で、この時期の退職金は勤続功労報償として意味を有していたと言ってよい。
もう少し簡単に言うと、欧米に続いて近代国家の仲間入りを果たすため、国を挙げて工業化を推し進めようとする中で、生産現場において必要な人材を確保し、一定期間定着させるためにできた報酬の仕組みが退職金の始まりであったということです。

その後、退職金は勤続功労報償の性格を保ちつつも、時代の状況が大きく変わっていく中で移り変わっていくことになりますが、戦後の高度成長期については次のようにまとめられています。
高度成長期の退職金制度は、産業構造を根本的に変えるような新技術の導入により、それに適応的な労働力を育成・確保するために、勤続功労報償的な性格を有していた。その点で、高度成長期は明治初・中期の「後発工業化」の時代ときわめて類似した時代であった。
明治初期にしろ、戦後復興の時代にしろ、「欧米に追いつくためにみんなでがんばろう」的な時代には、長期勤続を奨励する功労報償としての退職金制度がマッチしていたということでしょうか。

しかし、高度成長の時代が終わり、「終身雇用が不動・不変のものとはならなくなったこと」「企業内養成と長期勤続をかならずしも必要としない労働の単純化がすすんだこと」の2つの要因により、「退職金制度の勤続功労報償的性格は背景に退き、生活保障としての性格が前面に出てきた」とされています。

そして、バブル崩壊後、現在に至るまでの状況について、以下のように結んでいます。
平成不況にはいり、とくに1990年代後半以降、退職年金制度はその資産運用の悪化から急速に行きづまり、また日本的経営(年功賃金、終身雇用など)の揺らぎと連動して退職金制度そのものの見直しが始まった。早期退職優遇制度の導入、退職金を必要としない非正規従業員の急増、企業の負担増が生じない確定拠出年金制度の導入などがそれである。現在、社会保障制度(公的年金など)にさまざまな欠陥・問題点が噴出し、おおきな政治・社会問題となっている。そのようななかで、退職後(老後)の社会保障の低さを補完するものとして位置づけられてきた退職金制度は、現在、社会保障の低さを補完するどころか、その生活保障機能を縮小させながら、衰退しつつ存続していると言ってよいであろう。
残念ながら、社会的には退職金(退職年金)制度に対して公的年金を補完する役割を期待されているのとは裏腹に、衰退の傾向にあるというのが現実です。

しかし生活保障の役割を果たせるのであれば、従来型の退職金制度にこだわる必要はなく、上にでてきた確定拠出年金制度の導入もその方法の1つです。

国の年金や企業の退職金・年金が減ることで、「下流老人」が増え、社会の不安が増幅されれば、企業活動にも悪影響を及ぼすのは間違いありません。

公的年金を補完するものとして、企業の退職金・年金や社員個人による自助努力の重要性を叫ぶだけでなく、いかにそれを実行に移していくのかが問われています。